10年ぶりの大爆発
ここ最近、好奇心が止まらない。
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自分が今まで接してこなかった新しいことがとても興味深いものに見えて、「あれやりたい」「これも気になる!」と頭の中がせわしない。
まるで噴火だ。
せわしないけれども、実はちょっと嬉しかったりもする。
この10年は、いまやらなくちゃいけないことに精一杯だったり、趣味も、これまでずっと続けてきたことを維持したりすることがメインだった。
まったく知らないものをいちからやってみたいって思えなかった。
いまも、決して余裕があるわけでもなんでもないんだけど、不思議と「どうにかしてやってみたいなあ」という気持ちになっている。
しかもその興味の対象が、これまで全然向いてこなかったFPとか食生活アドバイザーとか、そういう暮らしに直結したものも含まれていて、自分の変化を感じる。
自分で生計を立てるようになったから、というのもあるのかもしれない。これも、大人になるということのひとつなのか。
でもねえ…ひとつ困ったこともあって、 何から手を付けるか、ということ。
ついついあれもこれもやりたくなってしまうけど、(壊滅的にマルチタスク苦手)
ここは慎重に。
困ったことはありつつも、おおむねいい気分だなと感じていて、知りたい!という気持ちは、こんなに自分をいきいきさせるんだなと思った。
忘れてたなあ。
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身体はめっちゃ疲れるけどね!
(10代とは違うね)
変わる、変わらない
変わる。
自分に変化があると、ついつい周囲の変化に気づきにくくなる。 桜は撮っていたのに、ばらは撮っていない。 ということに、あじさいを撮りながらやっと気づいた。
5月から職場が変わった。 天王洲アイルに通ったり、たまに在宅で仕事をしたりしている。
在宅で仕事をするというのも、わたしにとってはまだまだ変わったできごとに入っている。
もう少ししたら、いつもと変わらないできごとになりそう。
天王洲アイルはなんだか不思議な場所で、 わたしが苦手と感じる「完璧な統一感」があまりないので助かっている。
埋立地=整備されすぎて無機質 という偏った見方を変えようと思った。
単に、整備されすぎたところが苦手なのだな。
変わらない。
変わらないと言っても、ずっと変わらないものはそうそうない。
ずっと「変わった」と言われ続けるものも、意外となさそうだ。
マスクをする生活も「まぁいつもと変わらず」、 行動の制限も「昨年から引き続き変わらず」、 いつもと違う夏も、二度目となればすでに「変わらない」に片足を突っ込んでいるようなもんだ。
「変わったよね」「変わらないよね・いつものだね」の感覚は、くるくると回り続けている気がする。
大悲報
おおきなかなしみが襲ってきた。
よく行くプロントが閉店した。
プロントはチェーン店だけど、わたしには“あのプロント”にたくさんの思い出があって、だからこそたとえ他で全く同じ飲み物が飲めたとしてもケーキが食べられたとしても、喪失感は埋められないと思う。
学生のころ、まだバイトもしてなかったころ。
駅の東口に大きなロフトがあって、その中にプロントの系列のカフェ・ソラーレが入っていた。
おこづかいをやりくりして、たまにそこに入れるのが嬉しかった。
飲み物が10%OFFになるソラーレのEdyカードも作った。Suica以外の初電子マネー。
ロフトが西口に移ってしばらく経った頃、ソラーレがプロントになって再オープンした。
わたしは喜んだ。
店名は違えど、似た雰囲気の系列店ができた!と。
大学生になるとアルバイトを始めたので、
カフェに行ける回数も増えた。
“あのプロント”ではいろんなことをした。
大学の課題はもちろんやったし、卒論も書いた。就職のための試験勉強もした。エントリーシートなるものも書いた。進まなくなるとランブルスコやハイボールなどをそばに置いた。
何もしないこともあった。
数時間いた。うまいことギリギリ満席にはならなくて、いることができた。
母と喧嘩して家に帰りたくないときなど、ほんとうに助かった。
旅行の計画を立てたこともあった。どこを回るか、どう回るか。必ず行きたいところの選択。
その旅行は旅行の前から楽しかった。
“あのプロント”では、わたしのいろんな感情が渦巻いた。焦り、嬉しさ、悲しみ、緊張、安堵、怒り、楽しさ
いま、“あのプロント”だった場所は、中が全く見えない白いパネルのようなものに囲まれて、小さな紙が貼ってある。閉店を知らせるあっけない紙。
写真を見返して、“あのプロント”で、日常のコーヒーやチャイを撮っていなかったことに今気づいた。
寂しい気持ちがする。
お客も結構入っていたし、閉まるなんて微塵も予想していなかった。
ひたすらに、おおきなかなしみだ。
KIOSKの記憶
定期的に電車に乗るようになったのは、
小学6年生にあがる春休みからだった。
最寄りも行き先もJRの駅だったので、
駅の売店といえばキオスクだった。
コンビニに寄ることもあったが、
スーツ姿の男性や女性が後ろでレジ待ちをしていると
なんとなく申し訳ない気持ちになって、
財布も小銭も扱い慣れていないわたしは
落ち着かないことがあった。
サッとできなくてごめんなさい。
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わたしがよく立ち寄ったキオスクは、
(たぶんだけど)
ラッシュ時を除けばのんびりとした店舗で、
五円玉や一円玉をがちゃがちゃ探していても
後ろに人が並ぶことが少なかった。
おまけにレジのおばさんは、
「あら、ぴったり出してくれたの」
なんて言ってくれるものだから、
嬉しくなっちゃって。
飲み物はそこで買うことが増えていった。
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就職して、私鉄沿線に数年ばかり住み、
先日また、
キオスクのある駅が最寄りになった。
いまはほとんど小銭を使わずSuicaで払うし、
セルフレジだってあるから、
ほかに買う人が居てもそわそわしなくなった。
おばさんは、当然のことながら
6年生の時のあの人ではない。
(駅が違うんだしそりゃそうだ)
それでもなんとなく、
ホームの自販機よりキオスクで買うことが多い。
単に好きな飲み物が自販機にない
という理由もあるけれど。
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いまのキオスクのおばさんは、
少しだけかったるそうに見えることもある。
でも、毎日お茶を買っていると
割とすぐに顔なじみになってくるものだ。
かったるそうにしながらも、
見かけによらずけっこう大きな声で
「まいど〜」とか「ありがとうございました〜」
と言ってくれるおばさんのことを、
なんだかいいな、と思っていた。
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そんなある日。
真っ昼間なのに、
キオスクのシャッターが閉まっていた。
緊急事態宣言。
近くの駅のNewDaysは営業していたので、
てっきりこのキオスクも
開いているものと思っていた。
貼り紙には臨時休業とあって、
期間も「しばらくの間」となっていた。
いつ開くのかはハッキリしない。
臨時休業の前、
最後にここでお茶を買ったとき、
ほかにお客さんがいたので
わたしはセルフレジで会計をした。
おばさんに合図はしなかった。
約1ヶ月半、おばさんの姿を見ていない。
緊急事態宣言は、
明日、首都圏も解除されるのだろうか。
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ソーシャルディスタンシングと言われているけれども、
あのキオスクが開いたら、
できればおばさんのレジにお茶を持って行きたい。
おばさんは元気にしているだろうか。
少しくらいかったるそうでもいい。
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ちなみに、毎日買っていたお茶とは。
お茶よりさらっと飲めるお茶。
濃いお茶も好きだけど、あえて薄いところがいい。
わたしは好き。
閏日、20200229
4年に一度訪れる閏日は、逃げる2月を1日だけ引き留めることができる。
わたしは4年ごとに、4年前はこうしてたな〜とか、8年前は?とか、まるで大晦日みたいなことをやったりする。
誕生日が1日遅くなるのも面白い。
みんな等しく遅いんだけど、こう、通常28日の後に控える3月1日生まれとしては、直に影響を食らった感じがして、閏日の存在感をひしひしと感じる。
毎日夕方は心細くてもの寂しくて苦手なんだけど、閏日の夕方、逢魔が時なんて、もうもう...余計に。
でも今年は嬉しいニュースがあったから、浴室用洗剤でバスタブを掃除しながら、18時近くになって
いよいよ東京駅のそばで生再生が始まるのかぁ
と楽しいそわそわが勝っていた。
椎名林檎さんが浴室用洗剤をシュッと吹いたら、それすらなんとなくサマになりそうだ。
面白い。
東京事変、再生おめでとうございます。
おかえりなさい。待ってました。
永遠の愛はなくとも、ずっと好き
「この世に絶対はない」とか、
「いつまでもは続かない」とか、
よく耳にする。
具体的に誰が言っている、
というよりかは、
すでにそこにあるこれらの表現を
私たちが貸出ノートに名前も書かずに使っている。
わたしもその一人。
わたしは、
この世の絶対は、
生きものが全ていつかはあの世へ行くこと、
いつまでも続かないのは命、
だと思っている。
まぁよく考えれば他にもあるのかもしれないけれど
今のところ思いつかないので、
いつ誰が言い出したのかわからないが、
「うまいこと言うなぁ〜」
とお辞儀のひとつでもしたい気分になる。
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