所感と書感たち

読書に限らない感想文。じぶんの記憶がアテにならない!だってわたしは人間だもの。せっかく読んでも思ったことはどんどん消えてゆく。 むずかしいことは書きません書けません。小学生っぽくやります。本じゃないのも混ざります。最近何考えたか読んでくれる人はぜひ。なくてもいいけどあってもいいもの。Tumblrからお引越し

よみがえる沖縄1935@日本新聞博物館 ほか、つらつらと

沖縄戦で焼失してしまったものは数多くあって、写真もそのひとつ。

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ふらっと、企画展に行ってきた。

「よみがえる沖縄1935」

戦争が始まって、そして終わった。その10年前。


朝日新聞で10回連載された「海洋ニッポン」なるコーナーの取材資料として、277コマのネガが見つかったらしい。大阪本社の移転?建替え?のために、倉庫を整理していたら出てきたそうだ。


1935年。私の祖父母が生まれる3年前。昭和10年

当時は、自分たちが「ニッポン」とされていることに馴染んでいたのかな。それとも、なにか思いを抱えていたのかな。

サバニ造り。それに乗って海へ出て行く漁師。サメ取り名人。今も残る路地で、83年前に唐傘をさしている女性。洋装と和装の女性がちゃんぷるーみたいになって那覇を歩いていたり、そうかと思えば竹かごに食べ物を並べて座るおばあがやや訝しげな目線を送っている。カメラを向けられて、何かねえ?と思ったのかもしれない。それから、サトウキビ畑で笑う少年。

糸満の漁や那覇の市場、コザあたりの黒糖づくりの写真が展示されていて、中南部中心だったけれど、2枚だけ北部の写真があった。万座毛と、名護高校の生徒が写っているもの。自転車を押す何人かの女学生。

祖母は名護高出身なので、こんな風に過ごしていたのかなあと思いながら、しばらく眺めた。


そして観終わったわたしは、北部の写真がちょっとだったのをちょっと残念に思ったり、昭和10年の写真を探すのにこんなに苦労するほど何もかも焼かれたんだなあと大変悲しくなったりしながら、沖縄に興味を持つきっかけとなった本を思い出したんだけれど…

でもあの本、たくさん読んだからって処分しちゃった気がする。


小学3年生のとき、夏休みの推薦図書一覧に載っていた『シマが基地になった日-沖縄・伊江島 二度目の戦争』という本。サブタイトルの「沖縄」を目にして、おじいちゃんおばあちゃんのところの話だ、とわかって買ってもらった。


3年生のわたしがそれを読んで真っ先に思ったことは、アメリカこわい、だった。

この時はまだ平和祈念資料館にも行ってないし、歴史の授業もなかったから日本軍についても全然知らない。なんでブルーシールとかスパムとかコンビーフハッシュとか、みんなふつうに受け入れて食べてるの?こわい国のものじゃん、と思っていた。


本を読んだ3年生の夏休み、祖父母の家に遊びに行った。隔年で行っていて、その年は行く年だった。わたしが読んだ本のことを話すと、祖父母は特に表情が強張るわけでもなく、ただ戦時中と幼少期の記憶を語ってくれた。

山に隠れるようにして生活してたこと。竹やりの訓練があったこと。B‐29の音。

それと同じくらいかそれ以上に、終戦後のことも話してくれた。

祖父の父が足を爆弾にやられて義足になりながらも、車を運転して商売で生計を立てていたこと、車に基地で働く人を乗せてあげたりもしていたこと。人は左、車は右 と教わったこと(うちの母は今でもとっさに人が右か左かわからなくなるらしい)。B円を見せてくれたり、ルーズリーフに簡単な年表を書いてくれたり、例の本の舞台となった伊江島に連れて行ってくれたり。


決して押しつけがましくはないけど、たくさん話してくれた。

教科書で学ぶより先に、身内から、しがない庶民というか「ふつうの家庭のふつうの子ども」がどんな風だったかを聞けて、今思えば、戦争という根深くて難しいものについて、とっかかりとしてすごくよい知り方をしたんだなあ、と思った。