多和田葉子『海に落とした名前』
<時差>
3人のホモさんたちの話。3人が3人とも、自分が二股かけたら、もとから関係を持ってたほうが嫉妬するだろうな、と思ってるのが滑稽。あんたもかけられてるよ、二股。
女性は出てくるけど、全く魅力的でないというか淡々と描かれていて、人間の輪に入れてない。脇役どころか観葉植物だ。やはりホモさん的には眼中にないから、描かれ方もそんな感じなんだろうか。
<U.S+S.R 極東欧のサウナ>
実験してる小説みたいな感じ。aとかbとか言われると、どんな難しい理論が始まるのかドキドキ(そんなん始められたってわかんないよ!!)
樺太にいるんだかニューヨークにいるんだかよくわかんないけど、それでいいんだと思う。場所はどこだっていい。それこそ稚内だってなんだって。
・神社 ジンジャー 忍者
・樺太 からっぽ ふとそう思った。からっぽのからふと
多和田葉子さんの言葉の想像とか遊びがちょこちょこ出てきて、不思議楽しい、気がする。
<土木計画>
これまた人間らしくない女が出てくる。
効率効率、なんて無機質!介護してたのは猫。克枝は猫。猫のために会社やめるって、バカだけど人間ぽくも見えるかも。
<海に落とした名前>
ヒコーキが不時着して、ショックで自分についての情報を忘れたらしい。そんなことがあるものなのかしら。
名を思い出せない人間を手中に収めようとする人間と、あがく名無し人間。名無し人間の中では逆に征服してやったぜ的な気分なんだろうけど、実際は気がふれて放置されてるんじゃないのか。
ロシア・サウナに入ってたわたしが、名無しになっちゃってたりして(U.S+S.R極東欧のサウナ)。
別に読んでもえらく爽快になるとかじゃない。でも、読んだら……
何がもたらされるんだろう?何もないかも。
ただ、落ち込むこともない。「しじゅうこんな感じよ、人間の気分なんて」って言われてるようだった。とりあえず自分はこのなかにでてくる誰よりも現代の人間っぽいことがわかった(現代の人間ってなんだよ)
人間っぽい、それすなわち弱いということ。海に名前を音した。間違えた、落とした。落としたら、もうそりゃ死んだってことじゃないか?
人間の感情から離れたいときにとてもいい本だ。だって人間っぽいこと書いてないもん。なんだこりゃ。わけわかんないし。
「朝起きてご飯食べて」じゃない始まりが当たり前な本だった。