所感と書感たち

読書に限らない感想文。じぶんの記憶がアテにならない!だってわたしは人間だもの。せっかく読んでも思ったことはどんどん消えてゆく。 むずかしいことは書きません書けません。小学生っぽくやります。本じゃないのも混ざります。最近何考えたか読んでくれる人はぜひ。なくてもいいけどあってもいいもの。Tumblrからお引越し

奥田英朗『家日和』

サニーデイ

今や身近になったオークション。やってみたらハマっちゃって、売るものがないか探してる。人が大事にしてるものまで売ろうかと考え始めちゃう。

ハマっていく過程がリアルで、自己を省みるモードが発動した。

夫の大事なものを売りに出してしまった紀子は、他人に落札されずに無事それを我が家に置いておけるのだろうか。妹のアカウントで入札を、とすがっている場面で終わった。その後が気になる。

時々嫌な思いをするところも、ちゃんと描かれてる。奥田さんの切り取り方、すごいなあ。

そういえば紀子は皺消えただの復活しただの言ってたけど、心のありようで体は変わるのか。

<ここが青山>

裕輔は失業した。一応夫なのに。妻の厚子に打ち明けても、それほど驚く様子はない。それもそのはず、自分が復職するという。夫の失業で仕方なく、という気持ちではないらしい。なんてたくましいのか!現代的肝っ玉母ちゃん?

働きに出る妻の負担を減らそうと家事をし始める裕輔もえらい。当たり前といえばそれまでだけど、ふさぎ込んでもおかしくはないのに。「これはどうしたらいいんだろう」と家事のあれこれに戸惑いながらなんとか完了させていく様子は、「初めてのおつかい」を見る気分と似ている。

でもやはり、夫のやる気を見事にコントロールする厚子がスゴイと思うのだ。母は強し。女は強し。

めきめきと家事全般の腕をあげていく裕輔。息子の昇太にどうやってブロッコリーを食べさせようか格闘しているのも楽しい。厚子が「家事が苦手」というわけでは決してない。ただ、どうしても適材適所ということばが浮かぶ。

見事な夫婦だな。

<家においでよ>

まるでわたしのひとり暮らし計画が始動しているようなわくわく感。そろえたいものや色の好みは当然ながら正春と異なるところもあるけれど。インザルームだの伊勢丹だの、三越、無印、東急ハンズ……実在するお店も登場して、さらにわくわくは高まる。無印の「生成り信仰」が好みではない、という正春には思わず苦笑してしまった。店の名前出しといて辛口評価かい。笑

会社の同期が帰りに正春の家に溜まるようすはまるで大学生で、少し羨ましくなった。まだ、自分には学生でいたいという思いがあるのかもしれない。

少し距離を置いて、それっきり。なんてことにならなければ、それこそ「夫婦の思い出」になるだろう。きっと別居中の妻仁美は戻ってくる。そんな終わり方だった。

アバンチュールを期待して寝具を変えてたって、正直でよろしい。

<グレープフルーツ・モンスター>

専業主婦の日常。そこに突如投げ入れられた小石のような。水面にちょっとした変化を起こすできごと。

内職の仕事を持ってきては回収していく担当者が若い男に変わった。ただそれだけ。それですら「変化」と思うほどの日常だったのだろうか。

老化していく自分、穏やかな日々。「少しは縛られないと、日常に何の区切りもなくて逆に不安になる」

で、夢に出てきたグレープフルーツの怪物に体をまさぐられるのが新たな楽しみとなる。誰もが性的な夢を見る可能性はあるが、その相手がグレープフルーツの怪物とは。妖艶さのかけらもない。ただ単にアヤシイ。そして滑稽。

若い男に欲情してるわけでもない。人間でないのだから、夢の中の不倫でさえない。これくらいなら許してあげても、ね。

<夫とカーテン>

転職を重ねる。興味がよそにうつったから。今度は自営業で、カーテン屋を始めるらしい。そりゃあ、妻からすれば気が気ではないだろう。当然のことだ(厚子とは正反対)。

一儲けしたら店をたたんで別の仕事をすればいいなんて、危なっかしくて仕方がない。反対しても、すでに動き出していた。

決まってしまえばあれこれと世話を焼いて商売のアドバイスをする春代。「自分は地味でも安定した日常を望んでいる」が、春代の仕事であるイラスト描きでよい作品ができるのは、ふしぎと夫が冒険しているとき。

イラストの発想における火事場の馬鹿力なのか、夫の冒険に触発されているのか。なんだ似たもの夫婦じゃない。

<妻と玄米御飯>

ロハスに取りつかれた妻。いや、正確に言えば佐野夫妻に巻き込まれたのか。ロハスって、自分の中で完結してつつましく続けていくものじゃないの?宗教でもないのに布教してるみたいで、ちょっと気持ち悪い……かも。

ロハスな生活を見てやりたくなって、自分から教えを請いに行くイメージなんだけど。他人に強要するものでもないし、他人に合わせることもない。が、右に倣えの主婦コミュニティーでの生き方もわからないわけではない。

康夫には痛快な小説を出してほしい気もするが、そこは、作家だって人間で家庭があるのだから。