お芝居 劇団百日紅御一行様『我がギャング、はじまりへ』
御一行様の皆さん(ん?重複してるみたいになっちゃった笑)はきっと全力でお芝居を作られていたと思うので、わたしも負けじとタブレットを全力でフル充電してから感そう文と、観劇中に考えたことをを残してみる。
ところどころに出てくるちょっと昭和チックな音楽とかその中にある古っぽいサックスの音とか、中島みゆきとか、好きだな。
サックスの音は思いっきりクラシックなきれいな感じか、ちょっと古っぽいのが好きです。ジャズがキライなわけではないけれども、墨が足りなくなった習字の筆の毛先みたいな、出だしがざらっとしてる音はあんまり……かな。
次に中島みゆきソングブック これはやっぱ中島みゆきがいいと思う。中島みゆきと並べられる機会の多いユーミンもいいけど、うん、ここはやっぱ中島みゆきだと思う。我が家では中島みゆきのデジタルリマスター音源にしたベストコレクション的なのを予約した。中島みゆきの力の入ってない歌と力の入った歌とどっちもいいもんですわ。
話がそれてしまった。
冒頭、皆さんが揺れていた。右足と左足に交互に揺らす方向じゃなくって、つま先とかかとに交互に重心がいくような方向。見てて面白かった。
終始ギャングなのかしじんなのかという問いがある。で、多分しじんは「詩人」でいいと思うのだけど、一瞬「死人」と変換してしまいたくもなる。というのも、キャラウェイがすぐ死んじゃうから。あれは、死んだらヘンリー4世と名前が変わるんだろうか?戒名というか諱というか。
そこらへんはわたしにはわかることができなかったけど、炊飯器が骨壺に見えたのははじめてだった。しかもなんかホットケーキみたいなちょっと甘い匂いしたんだよね、でも中身白いごはんだったんだよね。あれ何だったんだろう。
名前をつけたがる現象。「わたし」は奥さんだかなんだかに「中島みゆきソングブック」という名前をつけて、彼女も「わたし」に名前をつけたらしい。なんてつけたのか今も気になってる。なんてつけたんだ!?
実際問題名前を付けないと呼びづらいし、また名前を付けることで未知のものじゃなくなったり場合によっては支配下においたり(「ふん、千尋なんて贅沢な名だね。お前は今日から千だよ!」とか、古典で男の人が女の人の名前を聞き出したらその人を手に入れられたもしくはかなり近づけた証 的なね) やっぱ名前ってすごい存在感を放つ。
名前といえばキャラウェイは緑の小指ちゃんとも呼ばれていたな。見てて本名じゃない名前でTwitterやってるみたいな感覚を覚えたな。本人も「キャラウェイねえ、……」って言ってたからメインの名前はキャラウェイか?
「混血はけがらわしい」という発言があった。ハリーポッターみたいだった。いつの時代でもどこの国でもどこの世界でも純血・直系・本家が素晴らしいというのは変わらないのかもしれない。ただ、今の日本ではハーフ(ダブル?)のタレントやモデルが活躍してるし、お米はなんとかとなんとかを掛け合わせて新しいのが作られるし、混ぜることへの抵抗はかなり低くなってる部分もあると思う。融合させるものと、「昔ながら」「直伝」「無添加」と、ものによってどっちにも惹かれるし私はそれでいいと思っている。全部が全部、何から何まで混ぜちゃうのも良くないし、頑なに混ぜないのもだめ。
キャラウェイが死ぬ前に通知が来て、まるで赤紙みたいだった。実際につけてたのは喪章みたいな黒いリボンだったけど。我が子(中島みゆきソングブックと「わたし」の本当の子じゃないかもしれないけど)が死ぬことを通知されるってどんな気持ちなんだろう。
不思議な世界観のお芝居だったけど、この時の中島みゆきソングブックは実に人間らしかった。普通の(何をもって普通というかはちょっと突っ込まんといて!)母親っぽく見えた。あの取り乱し様。アルミホイルまいて、なんにも見たくないし聞きたくないしって心境なのかな。外見がウルトラマンに見えます。ウルトラマンみたいに強くなりたかったのかしら。
最初からずっと気になったこと、「わたし」はなんで足に鎖が?
なにかに縛られてたんだろうか。名前を思い出せないことに固執してたのか(いや、中島みゆきソングブックに名付けてもらってなかったっけ?それを思い出せなくなってたのか? 彼女死んじゃったから彼女につけてもらった名前も消えちゃったのかな?ていうか自分で自分の名前思い出せないって、自分で自分をコントロール出来てない感じで怖そうだよね )、自分が詩人なのかギャングなのかわかんないことに固執してたのか、それともほかの何か、あるいは単なる飾りか。
「わたし」が3人のギャングに行った詩の授業は良かった。なんでもいいからことばを出してごらんなさいって。わたしも受けたくなった。でもハッとした。
「何でも詰め込むわけにはいきませんよ」だって。
詩も小説も、自分の思ったことを全部出すわけにはいかないし、そぎ落としというものが必要になってくるだろうし、それは詩や小説に限らず、自分の頭の中もそうだなと思う。なんでもかんでも覚えられるわけじゃない。なんでもかんでもできるわけじゃない。自分の頭の中に入れられるものはうんと少ないと思っておいたほうがいい。だからこそデータベースをうまく使わないとね。
自分の頭に詰め込めないから紙に書くし、1作で表現できなかったから新作を出すし、そうして世の中のみんなの頭の中からあふれ出したものの集まりが図書館かも。
ギャングってなんだろう。
イメージで言えば、暴力的なことをする集団?あらゆる悪事を働く集団?でもこのお芝居でのギャングって、これだけじゃ片づけられない気がする。数種類あるのかしら。
ギャングは、もともと「集団」や「群れ」などを意味していた(『ピーナッツ』で「チャーリーブラウンと仲間たち」を表す英文“Charlie Brown and the Peanuts gang”など)が、そこから「犯罪行為のために集結する」という意味の動詞としてや、「犯罪集団」や「暴力一味」などを表す名詞として使われるようになった。アメリカの禁酒法時代に、暴力的犯罪者集団を特に「ギャング」と呼ぶようになり、以降現代で使われる暴力的犯罪集団の意味が強くなった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%82%B0
ギャングは顔をつぶされない限り死なないらしい。ほんとの顔のこと?メンツのこと?後半のあのアルミホイルぐるぐる巻きは顔を守ってたのか顔がつぶれた様子を表していたのか気になるところだった。
「わたし」は詩人なのかギャングなのか。
詩人は1人、ギャングは群れ、正反対じゃないか。
わたしには、「わたし」は詩人だったけど、悪事を働いたから(殺人を犯したから)ギャングになったぜ!ってことで自殺して死人になったように見えました。
難しいお芝居だった。でも、こんだけ難しいと全部理解するのは無理だなって割り切れるのでかえって気楽に観られるし、いろいろな材料があるからあなたの頭の中で好きなように組み立ててくださいって言ってもらえてるようで、わからなくても結構好きです、こういう難しい劇。90分、日常から少し離れられたな。