所感と書感たち

読書に限らない感想文。じぶんの記憶がアテにならない!だってわたしは人間だもの。せっかく読んでも思ったことはどんどん消えてゆく。 むずかしいことは書きません書けません。小学生っぽくやります。本じゃないのも混ざります。最近何考えたか読んでくれる人はぜひ。なくてもいいけどあってもいいもの。Tumblrからお引越し

ライブ「葉月の夜に、奏でうたい何を想ふ」吉祥寺Star Pine’s Café

 奈央さんの歌を聴きに行く。聴くのは、これで3回目となる。「葉月の夜に、奏でうたい何想ふ」だって。うーん、じゃあ私の側からすると、「葉月の夜に、おとうたを聴き何想ふ」かなぁ。

 八月だって。早くも。あとちょっとで立秋です。梅雨明けしてまだ何日も経ってないのに。立秋ってすぎるとなんか悲しい。



 歌う人にも聴く人にも日々いろんなことがあって、そのときそのときで全然違うステージに見えてくる。初めに聴いた時と全然違った。それは本当に歌い方が変わってきているのかもしれないし、あるいは受け取る私が変化したのかもしれないし、でも人間だからたぶん両方だと思う。

 どっちが良かった悪かったっていう発想にはならなかった。何ていうか、あー奈央さんすごく今の年代を大事に生きていろんなの吸収して、凝り固まらずにいて、きっとこれからもまたどんどん変化していけるんだろうなって。池っていうより、川って感じ。

 いいなーいいなー。わたしも柔軟でありたい。


 ステージを見てて特にそれを思ったのが、最初の方の曲の歌い方だった。

 あれ?こんなに声に空気入ってたかなあ?

 そういう曲だったのかもしれないけど。

 私の中の奈央さんの声は力強くて伸びがあって、大人っぽくて(いや、素敵な大人なんだけど)凛とした感じだったからすごくびっくりした。ふわっふわのかわいらしい繊細な声だった。でも中盤からはやっぱりすごく力強いところがあって、天井高い会場でよかったなと思った。余韻が。余韻がすごい。

 ピアノもよかったなー。Part of your worldのああいうちょっと変わったアレンジ大好きです。聴いてて楽しかった。リトルマーメイドには私もたくさんのいろいろな思い出があるので、ちょっと回顧したり。


 それから今回ひしひしと感じたのは、正面を向いて歌ってくれると歌ってる人の表情まで見られていいな、ということ。弾き語りの方だと限られた位置の席からしか見えないから……。弾き語りももちろんかっこいいんだけれどね、私はお顔が見えたほうが好きかも。声色と表情が一致してると、どんな感情で歌ってるのかとか、伝わってくるものが増える気がする。

 そう、声色。声も感情をよく表す手段なんだなと痛感。わたしなんかすぐ声に出ちゃうから、気分が丸わかりだと思う。恐ろしい…気をつけねば。

 あとねえ、なんだっけな、聴いてる時に歌詞でなにか思ったんだよな。書き留めとかなくてすごく後悔している。曲の感じと歌詞が意外だったことだけ覚えてる。歌詞、どこかに載ってないかな。見ればすぐ思い出せそうなんだよなあ。


 奈央さんが今回歌っていた曲にはたぶん恋愛の曲が多かったと思う(私はそういう風に受け取ったのだ)。世の中恋愛の曲が溢れてる中で昨日も今日も明日もどこかで恋愛の曲が生み出されていて、言うこと尽きないのかなって今までうっすらと思ってたけど、そんなことないわってこの日突然感じた。

 人がいる限りそれは生み出されていって、新しいことなんか言ってないことがほとんどだけどむしろ学説じゃないんだから新しいことを無理に言う必要もなくて、違う人が作れば新たな曲になるし、同じ人が作っても作った時が違えば考えの変化(本人は気づかなくても、私も含めみんな変化してると思う)によってつかうことばも変わってくるし、さらにおんなじ人がおんなじ時期に書いたとしても、二つの相反することを書いてたなら違うものになっていく。それはがんばれ系の曲もありがとう系の曲も仲間大事系の曲も、全部において言える。

 曲の題材って人が生きてる限り枯渇しない気がしてきた。それもすごい話だ。


 葉月の夜に、おとうたを聴きながら私はこんなことをおもってました。

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 私も練習中のワダツミの木により深く向き合おうと再確認した、そんな八月一日。