糸 について
中島みゆきさんの「糸」は、カバーも多く、また、結婚式で使う人も多いらしい。
のだけれど。私にはそれがどうもしっくりこなくて、いや、結婚式で流すのはよいのだけど、「結婚式のみ」ではないと思うのだ。
超個人的には、「結婚式 にも」くらい。
よく取り上げられる「縦の糸はあなた 横の糸は私」のその先は、「織りなす布はいつか誰かを 暖めうるかもしれない」あるいは、「いつか誰かの 傷をかばうかもしれない」
夫婦になるときのためだけの歌なら、「誰か」なんて距離のあることば、つかうだろうか。もっと二人に焦点が当たっていた方が自然な気がする。
私には、同じ目的を達成するために集まった人、出会った人、同志、を表す歌に聞こえる。
自分たち(の仕事)が、社会のどこかでささやかながら役に立ったり作用したりする風に聞こえる。
もちろん、その大きな枠組みの中に、結婚や夫婦も入っていてよいとは思うけれど。
とかそんなことを考えていたら、友人Kからすごくよい話を聞いた。ものっすごくよいのでテンションが上がる、くらいすてきな話だった。
ひょんなことから、友人Kはある日上司と一緒にカラオケに入ったらしい。
中島みゆきが好きだという上司Sさんは、「糸」についてKに話し始めたそうだ。
「あれ、結婚の歌じゃないと思うんだよね」(もうこれをKから聞いたわたしはこの時点で若干興奮。似た考えの人がいる…!)
「糸」に出てくるしあわせって、「仕合わせ」って書くんだけど、仕事を合わせるって字じゃん、と続ける上司Sさん。
だからさ、仕事とか職場とか会社での関係のことだと思うわけ。
でね、わたし今まで「友達」って感じの人、いなかったんだよね。
知り合いも多いし、関わった人も多いけど、なんというか、感覚がぴたっとくるというかしっくりくるというか。
そういうポジションが、Kなの。自分でも、出会うことはないだろうなって思ってたけど、この歳になって見つかるとは考えもしなかったよ。
縦と横の糸みたいな。
うれしそうに話すK、を見てひたすらほっこりする私。
ちなみにその後、女上司SさんはKのために糸を歌ってくれて、それがまた上手かったらしい。K、感涙。
久しぶりに聞いた、最初から最後までひたすらいい話。そして私は、Sさんの「糸」に素直に感動できるKの感性が好きだ。
仕事や職場の中で、感覚の合う人を見つけるのは難しい。
目標は共有していても、その時々での判断が同じでも、それが必ずしも感じ方まで似ていることにはならない。
無論、目標や判断において足並みがそろえばじゅうぶんうまくいくし、それすら割れることのほうが圧倒的に多い。
そういう中で、感覚の合う人を見つけられた、合う人と近いところに配属された縁は、とても大きなよろこびであり、仕合わせとなるんだろうな。