所感と書感たち

読書に限らない感想文。じぶんの記憶がアテにならない!だってわたしは人間だもの。せっかく読んでも思ったことはどんどん消えてゆく。 むずかしいことは書きません書けません。小学生っぽくやります。本じゃないのも混ざります。最近何考えたか読んでくれる人はぜひ。なくてもいいけどあってもいいもの。Tumblrからお引越し

山カ「ピチフルウロングドーズ」

 20代の、特に前半は色々と苦しいらしい。そこを通り越したお姉さんが言っていた。30代のほうが楽、と。その苦しさがよく言われる思春期と同じものなのか、延長線上にあるものなのか、あるいはそれとは分けて考えたほうがよいものなのかはわからないが、確かに苦しいと感じることがある。



 劇中の小林一帰も、最後に「あの場所に戻るんだ」と言っていた。あの場所とはつまり学校のことか。


 中高生などはまだ、学校が全ての世界になっている子はたくさんいる。かく言う自分も、塾というもうひとつの世界は持っていたしそれによって助かったけれど、1日の中で最も長く過ごさなければならない「学校」には、ずいぶん神経をつかっていたように思う。


 20代前半はというと、学校がすべてじゃないのはもう十分わかったけれども、それでもやっぱりまだなんだか不安定な気がする。まだまだ子供なのか、それとも一応大人だけど大人としての経験が少なくてぐらぐらしているのか。
 子供と大人。子供はなんでも未熟で大人に及ばなくて、大人はなんにつけても子供より優れている、とは思わないが。


 丸くなって生きやすくなることと、20代でしか感じないこと。
 どちらも持っていたいというのはよくばりなんだろうか。早く30代になって今より安定させたいけれど、ものを見て何かしらの感情が鈍くなってしまうのもイヤ。あれもこれもとよくばるわたし。そうは言っても、案外あっさりと、10代の感性は忘れ去っている。きっと。



 ピチフルウロングドーズ。書かれた方は、おいくつぐらいなんだろう?私と同じくらいか年下なら「だよねぇ」と。もしもかなり上の方であれば、「感じ方を自分のなかに残されてるって、すごいですね」と話しかけたい。




 カウンセラーの小林一帰と、爆破予告をした小林一帰のやり取りを中心に、しおりとたつや、こうだいと加藤さん、何でも破壊したくなる男、みきとゆかの話が織り込まれていく。


 カウンセラーの小林一帰の周辺、やばすぎるだろ。
 DVしちゃうたつやが弟で、詐欺に手を染めちゃうこうだいが友達で、見るからに精神不安定なゆかが嫁(ここで言いたいのはあくまで小林一帰の周りがキャラ濃いってことで、精神が不安定な嫁をもらうことをやばいと言ってるわけではない。だいたい、ほとんどの女性に更年期障害はあるもので、そういう意味ではみんな不安定になるものだ。男性がなることもあるらしいが)。


【小林一帰】と、小林一帰


 白い仮面の小林一帰。それっぽければいいんだろうとか、どうせワイドショーで「現代社会の闇」「まさかあの子が」なんて言われてるんだと吐き捨てる。ありふれたことをすごく嫌って、ありふれた位置に収まることを拒否する。
    爆発で退屈を吹き飛ばすのだそうだ。


 その発想自体が、ありふれた状態に収まりたくないと刃を振りかざすこと自体が、とてもありふれていることに仮面の一帰は気づいているのかいないのか。自分でどんなに「僕の動機は他の奴と違う」「僕は他の奴との考えてることと違うことを考えてやったんだ」と主張しても、世間が「また起きてしまいました、現代社会の闇が生み出した犯行です」なーんて言えば、他人の目からはありふれたものとなる。


 世間はしばしば強力で強引だ。考えてみれば当たり前のことだ。数々の人間の、清らかなエネルギーも禍々しいエネルギーもみんないっしょくたにして、毛玉みたいにふくれあがってるようなもんだろう、世間って。そりゃあ一人で「ありふれてなんかない」って言っても、飲み込まれるよ、取り込まれるよ。ただ、一部でも取り込まれておかないと生活できないのもまた事実。社会との関わりとも言うかもしれない。


 自分が聞かれたくないことになると、「そんなのどうだっていいだろ」と返しちゃう一帰。うん、人間っぽい。ちょっとかわいく思えてくる。第三者として見てるからかわいいと思える(これが爆破予告された学校の生徒の親なら話は変わってくる)。
 ゆらゆらと揺れる一帰の態度。不安定なんだね、わかるわかる。同調すると刃向かわれるかな、わかるはずないだろと。


 そういえばこんなことも言っていた。

 理解しないのに肯定・否定するのは嫌いだ、だって。でも理解されるのもイヤなんだろうね。理解されることが、ありふれることへの第一歩ということか。わからせてやると言ったかと思えば、理解できることしかしようとしないんだと言ってみたり。ん?私もよくわかんなくなってきた。理解できることしかしようとしない、身近なところで答えを見つけようとする!と怒ってるけど、わからせてやる!とも言っていて、そのわからせてやる内容は、一帰の今までの様子から考えるとありふれてないことであって、でもありふれてないと人々は理解しようとしなくて……いよいよ何かのループに入っちゃったみたい。きっと本人もどうしてほしいのか・どうされたいのかわかってないんだろうね。


 わかってほしくて、わかられなくて、わかるはずがないとがっかりして、それがいつしか「わかられるのもイヤ」にすりかわっちゃって、あるいは変質しちゃって、もちろんそのままわかられないのもイヤで…全部全部否定して、斜に構えすぎて堂々巡りしちゃってるように見受けられたよ、私は。


【たつやとしおり】と、小林一帰


 初め、この2人を見た時に、どっちがどっちに依存しているんだろう?それとも共依存どっちがどっちにおびえているの?って判断がつかなかった。包丁を持ってるのは女の子だけど、暴力を振るっているのは男の子だし……。今にもくずれそうな若いカップル。こういった問題とは無縁のカップルもたくさんいる。でも日本のあちこちで、これに似たようなことが起こっているんだろうなとも思う。


「俺のことわかるのしおりだけだし」というたつや。だから離れるなんて許さないとしおりに暗示をかけているようでもあるし、自分のことをわかってくれる人間がいるんだと自分に言い聞かせているようでもある台詞だ。


 意外だったのが案外冷静なしおり。漠然とした夢を語るたつや(なんか「若者の問題」としてよく取り上げられるものを詰め込んだというか、凝縮した感じのキャラに見えた……)との対比が、場面が進むごとにくっきりしていた。たつやの兄の一帰を間に置いて、「もうたつやにはついていけない」とはっきり告げていた。おお、と思った。それは確固たる意志を持ってというよりももしかしたら本当につらくて心からの叫び的なものかもしれないけれど、とにかく自分の口から直接たつやに告げたのがとても印象的だった。すごいぞしおり、よくやった。


 兄には頭が上がらないたつやは、見ていてちょっと面白かった。包丁を自分に突きつけるたつやの目の前で一帰が電話をするシーンは、とても滑稽。


【こうだいと加藤】と、小林一帰


 仕事をクビになって、どうしようもなくなって、悪いこととわかっているけれど、どうにか正しさを押し殺して詐欺に手を染めようとしているこうだいのお話。

「自分は一生、スーツにネクタイで働くことができない。一帰みたいにまっとうに育っていない」

 うーん。まっとうに育つ、まっとうな環境で育つ。

 確かにね。投げやりになるほどの環境というものは存在する。


 そういえば、私のとても身近な人に、どん底から這い上がれた人がいる。その人は、もうあの時期にどん底を味わったから、今たいていのことは乗り切れると言っていた。でも、這い上がるチャンスに飛び乗れたから、つまり、父親のDVからの離婚、それによる貧困というまるで絵に描いたような悪い環境から抜け出すために今の職場に就職できたから家族も持てた、とも言っていた。


 やるせないけれど、運も存在する。


 私の身近な人のように、チャンスが巡って来なければには「まっとう」には浮上できない。ただ、浮上することを最初からあきらめていたらチャンスには気づけないからそもそも掴めた掴めなかったという話にもならない。なれない。



 ああ、わたしは恵まれているんだなあ。最初から「まっとう」な位置に居させてもらえてる。周期的にこんなことを考える。寝る場所には屋根がついていて、ごはんも食べられて、たまに外食できて、洋服も買えて、お酒も飲めて、明日はたぶん来るだろうとうっすら予測もできる生活。もうこの位置に居させてもらえてることも運が良いんじゃないか。ありがとう。


 話の中で発覚したこと。こうだいが詐欺に手を染めるのは一度目ではなかったらしい。以前にこうだいが詐欺から足を洗うために、加藤に金を渡していたという一帰。正義のかたまりが服着て歩いているような一帰にも、人間っぽいところがあったのだ。正義にはキズがついたが、そりゃそうだよね、まずは身近な人からどうにかしたいものだよね。


 それとね、カトーさん。困ったときに相談できないのに友達っていうのか?的なことを言ってたけど、友達だからこそ言えないことも、あるんじゃない?見放されたくないとか幻滅されたくないとか、あるいは心配かけたくないとか。それは親子にだってある。だからいのちの電話ができたのかも。顔も名前も知らない、でも聴いてくれる人。


【男】と、小林一帰


 足を揃えて座るのと組んで座るのと、何が違うのか。

 んー、足のポーズと、相手との関係性?

 するべきじゃないことを平気でしちゃうんですよ。

 するべきじゃないっていうのはわかってるじゃないですか。

 言われないとわからないんですよ。

 怒られたらわかるわけですね。


 カウンセラー小林一帰と、彼のもとに来た落ち着きのない男との会話。すごいな、わたしこんな会話が続いたら目が回っちゃいそう。さすがはカウンセラー。話をしに来て解決するならこんなところに来てない、と喚く男。

    え、でも実際には来てんじゃん、カウンセリングに。どうにかしたいから来る、自分は社会不適合者なんですよ!といいながらも、自分をどうにかすることを諦めてないから来る。薬をもらうことがメインでそのために仕方なくカウンセリングまで受けるという心持にせよなんにせよ、薬でなら自分をどうにかできると思っているわけだから、やっぱり自分をどうにかすることを諦めてはいないんだと思う。まあ、カウンセリングまで出向けるけどカウンセラーの言葉は全部否定する。

    あなたもまた、不安定なんだね。


 自分は何かをすぐ壊したくなってしまう、それを抑制する能力がないと主張し続ける男に対して、あなたは自分を欠落した人間だと思っていたいんだ、薬は補助的なもので、自分をどうにかする最後の決め手は自分なのだと根気強く説き続ける小林一帰。途中、男の激昂ぶりに当てられてやや熱くなっちゃうとこが妙にリアル。


 これはもう、私は全面的に小林一帰を支持します。その通り。破壊衝動があったわけではないけど、実体験からそう言える、はっきりと。私は小林一帰の言う通りだと思う。薬は使う、でも最後の決め手は自分なのだと認識することが、自分をどうにか――精神的な疾患のない人間に――する「はじめの一歩」と言えようか。


 ストレスフルでどことなく閉塞感ただようこのご時世、うつ病などはもはや国民病かもしれない。自分がそれになってしまったとき、この考え方とっても大事。罹患してすぐにこんな整然とした考え持つ必要ないしさすがにそれは難しいと思うけど、気持ちも身体も動くようになってきたらこの考えを頭の片隅に置いておくことめっちゃ大事。経験者は語る。


 社会に合わないピースを無理にはめ込もうとするとどうなるか?男はまくし立てている。別にぴったりはまらなくてもいい気もする。ただ、完全に誰ともつながってないのは怖いから、ピースの半分だけはめてあとは浮かせとけばいいと思う。今の私がまさにそんな状態かな?全くはめ込まないか全部はめ込むか、白か黒か、ゼロかヒャクかって考えないほうがいいというのは、私も最近考えられるようになってきた。成長したな、私。丸くなったか?私。


【みきとゆか】と、小林一帰


 女2人で片方が「ごめんね」の連発だから、ちょっと前に流行ったマウンティング女子がなんかの拍子に罪悪感を持って懺悔してんのかと思った。

    ママになったの とゆかが報告したとき、なんとなく勝ち誇ったように見えなくもないからそう感じたのかも。

 あるいは、以前はお互いレズだったのに片方が変化して男性と結婚したから、今もレズの友人に謝ってるのかと思った。


 …どちらも違った。

 ゆかはもともとみきの患者だったが、どうやら小林一帰と結婚したらしい(同業、と言ってた気がするけど自信がない。同病って言ってたのかな?みきのあの表情のない様子からすると、後者でも大いに納得できる)。

    大抵の人間には心の支えとなる人がいることは承知のうえで、それでもゆかはちょっと度を越しちゃってる感じがある。支柱がないと上に伸びない朝顔みたいだ。


    それはそうと。

「謝りたかったの」って、よく考えると自分が楽になるための言い訳にも思えてくる。もちろん悪いと思ったら謝ることは大事だけど、ちょっと肩がぶつかってごめんねって言うのよりはるかに重いことになると、ごめんで済んだら警察要らねえんだよ状態に陥る。謝っても、謝った側はすっきりするけど、謝られたってもやもやが残る。みきとゆかの場合は、どうも、もやもやが残る方のごめんねに感じる。うわぁ、やだなぁ。だから日ごろから気をつけにゃならんのだよ。ごめんねですべてがスッキリしないような出来事は、極力避けたい。


再び、【小林一帰】と、先生?


    立場が変わっている。カウンセラー小林一帰の少年時代なのだろうか。仮面の小林一帰は担任の先生ということらしい。

  進路希望になんにも書かない若かりし日の小林一帰。


  何もしない。何にもなりたくない。
  白紙が正解なんです。
  幸せになれない気がするんです。だから何にもなりたくないんです。


なんにもしないことを決める、なんにもしないことを正解と決める。

決めることはしてるわけだから、なんにもしてないわけじゃないとも言えるような。生きてる限り、何かしら考えてるから、例えば、何も考えたくないんだ!って考えてるから、なんにもしてないようで、息もしてるし脈もあるし、存在してるし、

死んだらなんにもしてないことになるのかなぁ?どうだろう。



一帰。はじめにかえる。劇の序盤を思い返してみる。

カウンセラーの小林一帰も、その昔は爆破予告をやらかしてたりしたんだろうか。仮面の小林一帰みたいな少年だったのか。


    仮面の小林一帰は言った。

    他人なんて自分によく似た壁。他人なんて地獄。杓子定規や思い込みで僕をありきたりに当てはめようとする。

と。

     他人は他人であって、あなたとわたしで体が分かれてる以上それはもうしょうがなくって、ていうか自分と他人の境目がないと、他人の悲しみも全部伝わってきちゃうと思うの、それって非常にしんどい。分かれてるからこそ正気でいられる。で、互いに上手い近づき方をすればそれは強固な壁になるし、ぶつかってしまえば片方が壊れるか互いに壊れるか、それこそ地獄のようにどろどろぐちゃぐちゃ。


     でもさ、みんながみんなわかってくれわかってくれ言ってたって始まんないわけで、杓子定規や思い込みで~っていうのは、実は相当受け身なんじゃないか。自分は何も動かずに、他人にわかってくれって自分を丸投げして、他人がわかろうとして解釈したけど気に入らないから杓子定規で測るなって言ってるんだとしたら。思い込みも同じで、俺のことをそんなふうに思い込みやがって!ってことだったら、他人は一応解釈しようとしてくれたわけで、つまり、合ってる間違ってるは別としても他人に解釈してもらった、その結果だろう。


     わかってほしいなら発信しなきゃいけない、思い通りに受け取られなくても、めげずに発信し続けなきゃいけない、なんかの商談も営業も告白も仲直りも、発信。発信。


  わかってくれなかった人に傷つくことはあっても、まあその気持ちもすごくすごくわかるけど、そのせいで、その後の人生に出会うかもしれない「わかってくれるかもしれない人」になんにも発信せずにいるのはもったいない。発信してれば、そこで、わかってもらえない苦しみが和らいだかもしれないのに。


   カウンセラーの小林一帰は言う。

    結論を急ぐな。時間をかけるんだ。

    と。

    わたしがこの作品のなかでいちばん好きなことば。

    焦らないで、急がないで、振り回されないで。

    きっと10年後も生きてるという、とても前向きで安穏とした根拠のない予想をしながら。

    大事にしたいことばに出会えてよい時間だった。

    24になってから初めての観劇の夜。




脚本の方は、いったいどのようなことを考えながら書かれたのだろう。

こんだけ好き勝手に言っといてアレだけど、意図があるなら聞いてみたい、なあ。


不安定は苦しいしイヤになっちゃうけど。

結論を急ぐな。時間をかけるんだ。

楽しいときは生き急がず、イヤなときは生き急げればいいのに! 世の中例外だらけで矛盾だらけなんだから、これぐらいの都合いい考え方ぐらい許してよね。