尾形真理子「好きしかない恋なんて」
「季節の変化の強迫観念みたいなもの」か。
たしかにある、けど、いま、わたしにとってそれはよいように作用している。
行動のきっかけとなるもの。
よい作用と思えているのはきっと、強迫観念にするかどうかの取捨選択がうまくできているからだ。
初詣は行きたい。桜をみるために時間をとるのは儚いやら淡いやらで悲しくなるからやらないけど、ほかの用で外に出たときにはふらっと見てたい、夏に海じゃなくてもいい、海は夏だけじゃなくてもいいかな。
旅は、どこに行くか、も、誰と行くか、も、何をするか、も大切な要素で、欲張りな自覚はあるけど決めることがたくさんある(という強迫観念かもしれない。)。
何をするかはほんとうに幅広くて、ぐーたらするために早くから宿に入るときもあれば、どうすれば一カ所でも多く回れるかを真剣に考えることもある。
食べて呑んで、旅のこともそれ以外も関係なく喋る。
私にとって、旅は楽しく真剣に取り組むもの。でも特に疲れないので、今のままで今のところはよしとする。疲れているときはぐーたらを計画すればよいのだし。
今日も楽しいけど、幸せではない
楽しさは幸せの栄養素のうちのひとつだ。だから、ほかの栄養素もないと「幸せ」は満たされないだろうし、おそらくほとんどの人が完全には満たされていない。楽しさ、やすらぎ、わくわく、お金、うれしさ、どきどき感。もちろんほかにもまだまだある。人によって配合は異なるけれど、自分に足りてないと感じるものを埋めようと動き、働き、買えるものは買い、何かを積み重ねる。
そうして、みんながんばるけれど、きっと、幸せのグラフは100%にはならない。
じゃあだめかというとそうではなくて、幸せになろうと、100%にしようとがんばる軸とは別に、「足るを知る」軸もある。「今がじゅうぶん、ありがたい」という心構え。
これらはふたつ同時に存在していても全然おかしくないし、「足るを知る」があった方がよい。
そうでないと、いつも満たされなくて、悲しくなってきてしまう。
それから、「幸せって自己責任」って、ぐうの音も出ないほどその通りなんだけど、
わたしはどうも自己責任ということばが苦手なので、
幸せって自分の努力と、運と、縁 くらいに思っていよう。
あわよくば、人と関わることによって、自分も相手に楽しませてもらって、相手からも楽しませてもらえる瞬間があると、うれしい。
自分の人生が「期待以下」だからと言って誰のせいにもできないし、誰かに「楽しませて」なんて、お願いできるわけもない」
そうだなぁ。
どういう期待をするか。この設定がすごく難しい。これ。わたしの今の課題はこれなんだ。
足るを知る軸と、幸せを求める軸のちょうどよいバランスを探っていくと、出てくる気がする。
さぁ、わたしはわたしの期待をどう設定してゆくか。
#ルミネ #ショートショート #尾形真理子