空港行きの高速バス
5~6年前から、祖父母の家に行くときにはツアーのフリープランを利用するようになった。高齢なのに名護から那覇まで迎えをお願いするのも気が引けるし、なにより万が一高齢者の交通事故につながってしまったら取り返しがつかないということで、一人で行くときは高速バスを、家族で行くときはレンタカーを使う。
フリープランには一泊だけホテルが付いているので、帰りは最終かそのひとつ前の高速バスに乗り、那覇で泊まって、翌朝割増料金のない早めの飛行機を選択して羽田へ、というパターンが多い。
今回もそうだった。
問題はバス。バスなのだ。
気持ちの居場所がなくて、三十路前ともあろうに、高速バスの中で涙が流れるのを抑えきれないでいる。
名護のバスターミナルに残って「笑顔で帰るんだよ」という祖父も、笑いながら少し目が潤んでいた。
それを思い出しては、涙の波が押し寄せてくる。
沖縄自動車道に入って、バスは那覇へと進む。のだけれど、沖縄の高速バスのバス停は一度インターチェンジを出たところにあることが多く(他県でもそういうところはあるかもしれないが)、高速を出ては入ってを繰り返す。
入るたびに「那覇方面」「名護方面」という看板に出くわし、名護に戻ってくれないかなぁと無理なお願いをしてみたくなる。
那覇空港行きだから戻るわけないのは当たり前だ。
最も苦しい時間帯は、2時間弱続く。
金武、石川、池武当、幸地……
南へ南へ。
停留所を過ぎるたびに鳴る運賃表示機の音と、その隣の、次の停留所を知らせるモニター。
できるだけ目を閉じておく。眠れたらもうけものである。
でも、眠れたことはあんまりないから、ほとんどもうけていない。
こころを静かに。落ち着きなさい、わたし。
落ち着け、わたし。
そんなことを心の中で唱えて、台風のように襲ってくる涙をやり過ごそうと格闘する。座席が道の段差を伝えてガタンと揺れるたびに、我に返る。
だんだんと私が涙の台風よりも優勢になり始めると近づいてくる、旭橋の那覇バスターミナル。
もう少しだ。
ホテルに着けば、すぐにニュースかバラエティをつけて。
毎週じゃなくても、何回か家で見ているもの、マツコさんが出ているとなおよい。
さっさとお風呂に入って、その番組を見て、日常に戻る準備をしなくちゃ。
バスを降りてから翌朝までは、不思議と涙は出てこないことが多くて、比較的淡々と時が進む。
しっかりとした足取りでローソンに入り、明日の朝食や飲み物を買って、ふつうのテンションでチェックインして、例のテレビをつけてお風呂を溜める。
那覇のホテルというのはわたしにとってクッションのような存在で、「非日常と日常」まで大げさではないと思うけれど、とにかく祖父母の家から自宅へ帰るときのショックを一旦受けとめてくれる場所だ。
ここで一泊するおかげで、わたしは翌朝なんとか泣かずに空港の保安検査場を通ることができる。
子どもの頃は祖父母が空港まで送ってくれたので、涙のピークは保安検査場に自分が吸い込まれていくときだった。だからひと息つく暇もなく搭乗口へ行かなければならなくて、窓から見える島を見ては、静かに、でもけっこう長い間、頬が濡れているのが常だった。
今は、できるだけ感情を無にして乗り込むことができる。
さすがに離陸の瞬間は「うぐっ」とくるけれど、座席は絶対に通路側にして、そして目を閉じていれば、なんとかなる。
羽田に着いてしまえば、飛行機を降りさえすれば。
わたしの気持ちは少しずつ落ち着いていく。
手荷物を受け取るころには、大宮行きの高速バスの乗車券買わなきゃ、なんて考えている。
こんな大変な思いをしても、きっとわたしはまた祖父母のところへ行くし、行ったら行ったで帰りはこうなるだろう。
単なる旅行とも違う、でも自宅とも違う環境だからやっぱりそこは非日常に分類せざるをえなくて、祖父母の家という非日常から日常へ戻るときのギャップが、どうしてわたしはこんなに大きいのだろう。
しばらく会えないさびしさやかなしさがあったとしても、でも、また会えるのに、なんでこんなに取り乱すんだろう。
気候の差?
それは沖縄じゃなくたってある。
じゃあ、地続きじゃない距離感?
なんなんだろう。
自分でもわからないでいる。
わからないし、
おそらくこんなことになる人は少数派だと思うけれど、
最近は仕方がないと受け入れつつもある。